2025-09 日記

人間がおもしろい

最近、人間がおもしろい。会社で積極的・強制的に人間と関わるようになり、いままで人生で人間にあまり興味がなかったことに気づいた。

学校では何をしていたのか?思えば学校は他人と 別に交流を避けていたわけではない。むしろ他人との会話は多かったと思われる。名古屋民は比較的西側の文化圏で会話は多かった。

いや中高で部活をしてたやろ。そこで人間に対する興味が育まれるのではないか。自分もそう思うしなぜそれがあまり育まれなかったのかを考えた。 楽譜と指揮と音を介しての協調が主である。自然言語を使用するのは マネジメントというのはなかった。 自身と楽器の関係が最も重要である。 部活がかなり同質的な人間の集まりであったことは重要である。

つまり、学校ではマネジメントの関係があまりなかったのではないか。

しかし、会社では他人とマネジメントの関係を構成する。 異質的な人間の集まりである。

優先順位

人生は優先順位をつけたほうがいいらしい。

自分は自称に優先順位をつけるのが苦手なのだが、それを分析すると、自分はケツの意識が強すぎるということに気づいた。

ケツの意識とは「最終的にどうなっているか、どうあるべきか」を基準に物事を考えることである。例えば、ソフトウェアであればユーザ体験から設計を考えるし、料理であれば味や香りや盛りつけを想定しながら調理する。

人生であれば死ぬときの状態を仮定する。自分はいつからか人生のケツを「人生に満足して死ぬ」こととしている。やりたいことをやり切って死ぬ。例えば「日本の鉄道を全部乗る」という目標がある。日本の鉄道を満足するまで味わいつくす、という

とは言ったものの、自分のやりたいことはなんとなく決めてる。おそらくこれは「満足の条件」に自分に制御不能な依存関係が入った場合に満たされなくなるため、それを回避していると思われる。諦めが早いともいえる。

もう一つの目標は、。面白くて意味のわからない技術がポコポコ出てくる時代にしたい。

依存関係に自分には制御不能な事象が入ってくる場合、

アナーキー

先日、社長にこのようなことを言われた。 「君はアナーキーなのでハッカーの素質がある。日本にはあまりいない。」 このようなことを社長から直々に言われるとは不思議で面白い組織である。

日本にハッカーがいないというのは同意しかねるが、自分がアナーキーであるというのは心外であった。自分は特に会社の秩序を積極的に破壊するような意思はない。(会社の重大な変化に関与した心あたりはあるが、同等の変化はいくつかあるので、そのことを特段意識してたとは思えない。)むしろ自分は決められた環境のなかでいい感じに生きることのほうが得意で、その環境を積極的に変えようとはあまり思わない。所与の環境のなかに面白さを見出すことに長けているからである。環境がいいからそうなっている。初期空間が良かったという。このような特性の結果、自分が面白いと思える空間にたどり着いているともいえるかもしれない。自分は漂流している。自分の人生にあまり主体的な興味がない可能性がある。

内省したところ、確かに自分がアナーキーとみなされるいくつかの可能性を発見し、その過程でアナーキーという言葉が少し理解できた気がする。

まずアナーキーとは何だろう。自分はアナーキズムに対して「積極的に権力を否定し破壊し、権力の存在しない状態を目指す」という雑なイメージがあった。積極的なアナーキズムがリバタリアニズムで、消極的なアナーキズムがニヒリズムというイメージもある。

自由主義の極致に、社会が最適化に失敗した社会が存在するいくつかの事例を認知している。

「滅びの美に陶酔する耽美的破壊主義者」というイメージがあった。滅びの美学は結構好きで、SFなどで文明が消滅する描写は特に好きである。人間の恣意性が失われて自然の摂理のみが残る状態は、物理的に美しいと感じる。ただ現実世界でただ破壊するだけでは困るので自分がやりたいとは思えない。

そもそも自分はこのような極端な思想に共感しない。たいてい

アナーキストとハッカーがどのように

だが、アナーキズムはこのようなイメージとは異なることがわかった。

通して知っているので、自分はそのようなアナーキストではない。

彼女に自分の哲学はあまりにも説明的すぎると指摘されることがある。ここでいう彼女は、インターネットパノプティコンに囚われている典型的な現代人である。

アナーキズムの根底には、社会を構成する非自明な構造の気づくことがある。 普通に暮らしている人は、社会に違和を感じたときに、恣意的な構造が立ち上がり気づく。

健常者エミュレータ の ただ、自分のような常に分析的に 例えば、我々が

自分が昔から親しんできた数学は非自明を徹底的に排除する営みであり、その眼差しが社会に向けられると、構造に無意識な人に比べてアナーキーに見えるのかもしれないと考えた。

対話感覚

1対1の会話は円滑であるが、複数人になると途端に難しくなる。 正確には十分に仲が良い人間でなければ複数人の会話は聞き役に回る。

残念ながら人間は会話を多重化することができない。またマスタとスレーブは存在していない。CANのようなものである。

コリジョンを積極的に発生させる

スペースがさまざまな意味を持つ。Pythonのようなものである。

どうやら人間はこのプロトコルを処理する専用回路が構築されているようである。 会話のボーレートは高速であるため専用回路が必要であるように思われる。 私は残念ながらこのプロトコルのサブセットしか実装されていないようだ。